イタリア的、店長の脳内解剖

そんなこんなで店長です。
なんとなく売上げが回復してきました。
そこそこボチボチやっとります。

ってな訳で今日はさっそく本編いきます。
正直冒頭分のネタがもうありません。(笑

はい、じゃさっそく。

店長がミラノに移住してから間もなく4年。
この間、町を歩くイタリア人と接触した回数は無限。
まったくもってイタリア人という人種は会話や携帯にすぐ没頭しやがり、
建物の間隔が狭く、巨大迷路の様相を呈する町の作りを考えれば、
歩くという点においてこれほどまでにストレスな町は他にないかもしれない。

これからすれ違うだろう店長の姿が目に入らないのか!?
なぜもっと早くに店長の漕ぐ自転車に気付かないんだ!?
こっちは当然気付いているだろう呈でチャリンコ漕いでいる訳だよ、君達。
何度轢き殺しそうになったと思っているんだ、バカ野郎。
肩がぶつかって店長が昔のヤンキー魂を思い出したらどうするつもりだ!?

・・・・・・・。

ということで本日の考察テーマ。

【なぜイタリア人はこれからすれ違うだろう物体に気付くのが遅いのか】

当初この件に関しては、民族における間合いの違いかと考えていた。
間合いとは言うまでもなく、単なる間隔や距離以上の何かを指す、
言ってみれば全ての人間に元来備わったテリトリーのようなものである。

『仮説1 民族間の間合いの違い』

日本は武道の国。
柔道、剣道、空手、相撲、合気道、なぎなた等々、日本発祥の武道は多い。
好戦的な民族ではないような気がするが、
実は武道は日本人にとって極々身近なものなのである。

これらの武道に必ず付いて回るのが前出の間合い。
自分の間合いで相手と対峙すれば勝負は優位に運び、
相手の間合いに入り込んでしまえば敗戦は濃厚。
戦士は常に間合いを意識していなければならず、
勝敗を分けるファクターとして最も重要な項の1つと言える。

剣道7級の店長が言うのだから間違いない。(死

先ほど列挙した我が国発祥の武道のうち、
日本のお家芸として最もポピュラーなのが柔道ではないだろうか。

突然だが五輪等であれほどまでに日本人が活躍するのは何故だろう。

もちろん日本がこの武道の発祥であるが故に他国よりも盛んであり、
分母の数が多い分だけ代表の水準が高いということはあるだろう。

しかし、古来より武道を身近としてきた日本人は、
他民族に比べ間合いの取り方が上手いからだ、
と言えなくもない気がしないではないような気もする。

また国内で一般的な学生生活を日本で送った人間であれば、
授業の一環として柔道の経験がある人も多いと思われる。

以上の考察を踏まえ、日本は間合いの文化であり、
日本人のDNAには間合いの取り方が代々継承されている!

と、思う・・・個人的に。

そんな武道の国からやって来た我々日本人と、
蹴球を生業とするイタリア人の間合いが合うはずがない。

日本人は己から半径5m以内の物体には気付く。
イタリア人は半径3m以内にならないと気付かない。
その2mの誤差が接触事故を引き起こってしまう。

ところが、である。
イタリア人同士でも接触事故は良く起きるんだな、これが。

要するに、奴らは単純に注意力散漫なのである。

仮説1、残念ながら却下(汗

ではなぜイタリア人は注意力散漫なのか。
イタリア人と日本人の違いとして、
万人がすぐに思いつくのが食文化の違いだろう。

【仮説2 民族間の食文化の違い】

日本では一般的に、日に30品目を食すことが適当などと言われる。
恐らくイタリア料理は全体で30品目しかないんじゃないだろうか。

日本人はその圧倒的に豊富な食材を同時に、混ぜて食べる。
ご飯と味噌汁とおかずを同時に食べる。
口の中で混ざり合った食材を味わう舌を持つ。
イタリア人に日本のイタリアンを食べさせた際、

味がごちゃごちゃしてて旨くない。

という意見が圧倒的に多く、
イタリア人が混ざった味を吟味する舌を持ち合わせていないのは明白。

嘗てイタリア料理店でバイトしていた店長が言うのだから間違いない。

この考察結果から何が導き出せるのか。
日本人は食から繊細さを日々学んでいると言える。
1回の食事単位で考えると大したことではないように考えられるが、
人間も動物である以上、そして生きる以上食べ続けなければならない。
1日3食を生涯毎日食べ続けられる訳ではないだろうから、
生涯平均を1日2.5食とし、以下の式を確立する。

1日2.5食平均×365日=年間912.5回の食事

年間912.5回の食事×人生80年=73000回の食事

な、ななまん・・・・・。

そういった訳で人間は生涯で7万回以上の食事をすることが分かった。
そしてそれはつまり、7万回も食から何かを学ぶ機会があるということであり、
恐らく日本人はその7万回以上の学習機会の中で、
繊細さ、もしくは多角性を学んでいるのでないだろうか。
同時発生する事象を個々に解析する術を学んでいるのではないだろうか。
日々、聖徳太子的能力に磨きをかけていると言えるのである。

だとすると、逆にその機会に乏しいイタリア人は、
この能力に関して日本人に勝てるはずもなく、
視点、考察力、洞察力が単一的にならざるを得ないと言えなくもない。

結論

行儀が悪いだの下品だのと子供を叱り付ける世のお母さん。
猫飯も捨てたもんじゃないってことみたいです。

ちなみにお察しの通りこの推論に確証などない。

暇だと店長の脳内はこんなことになっています。

今日も平和だ。(笑

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