Giubilare Milano物語 -完全オリジナル模索編- Vo.9

写真 (1)

新橋に良くいる人。

そんなことで本日も本題。

続きです。
ちょっとこれまでの時系列を整理します。
現在2011年の3月あたりを執筆中です。

ジュエリーの行く末を案じ、
2007年にファッションブランドの立ち上げを決意し、
商材をバッグに絞った上で、その供給先を探し始めました。

翌年2008年にはミラノで開催されるバッグの国際見本市MIPELにて、
鹿皮の縫製に特化したマルケ州のペルゴレージ社に出会います。
半年毎に発表される彼らのコレクションを改作し、
弊社のオリジナルとすることで合意を得ましたので、
以降5シーズンに渡ってペルゴレージからの仕入れを続けたものの2010年9月、
彼らのコレクションデザインに違和感を覚え、
2010年の10月には完全オリジナルのバッグ制作プロジェクトが立案。
紹介して頂いたミラノの工場との度重なる死闘を繰り広げ、
翌年2011年の1月には納品 2月には納品 3月にようやく納品。
しかしこのサンプルが著しくイケてない。
というよりこの工場のメンタリティがイケてない。

そこで、このミラノの工場と関係を継続するのか否かという大問題はさて置き、
拙いイタリア語力、浅はかな知識と経験というディスアドバンテージを含めて考えると、
パターンから制作しないことには本当に作りたい物が作れなさそうだなという結論。
ここまでが前回。

幸運にも私のイタリアでの古くからの友人に服飾のパターンナーがおりまして、
彼女に相談したところ、バッグのパターンも引くことは可能との回答を貰いましたので、
ではバッグ工場と打ち合わせを重ねるという日伊戦争には一旦終止符を打ち、
日本人同士、日本語で詳細を打ち合わせてパターンを制作し、
イタリアの工場にそれを持ち込むことで、
Giubilare Milanoの完全オリジナルバッグ具現化を目指してみてはいかがなものかと。

しかしながらパターンから制作となるとそこそこの時間を要することが推察される上、
パターン=設計図ということですから、
どんな工場に持ち込んでもある程度イメージ通りの物があがってくる、
いや、むしろ、イメージ通りの物があがってきてしまうということになりますから、
いずれにしてもここでしっかりデザインを決定しなければなりません。

上述の工場との打ち合わせにおいては、
様々な図面や資料などを持ち込んで私の脳内のイメージの伝達を図ったわけですが、
所詮は イメージの伝達を図った に過ぎず、
取扱い説明書、ないし設計図にあたるものを持ち込んだわけではありません。

ボヤっとした私のイメージをなんとか伝え、形にし、修正していくことで、
最終的にオリジナルのバッグが見えてくればと思っておりましたが、
しかしそんなヌルいことではいつまでたっても終戦をみないことが分かりました。

デザインは、否、デザインこそがブランドの根幹と言って間違いないわけですから、
今回、この段階で創造されるべきイメージは私の人生を左右すると言って過言でなく、
詰まるところ2、3日考えて決定して良い事象でないわけなので、
プロジェクトに多大なる遅延を及ぼして尚、時間をかけて熟考すべきという結論です。

ただし、上述の工場でサンプルを制作する段階でも書いたように、
私はデザインを勉強した経験が一切なく、
故に理詰めでデザインを決定していくしか術がありません。

大手ブランドをやんわりにでも研究してみますと、
トートバッグを出していないブランドがない。
シンプルだからこそ、そのブランド力が問われるトートバッグの取扱いがないブランドがない。

その点に気が付いた私は以降、
半年間を徹底的にトートバッグの研究に当てることとし、
色々なトートバッグを自分で買って使用してはメモを取り、
色々なトートバッグを妻に買い与えてはモニタリングさせ、
周囲の全女子に、生涯で最も使いやすかったトートバッグのサイズを聞き、
すれ違う全女子のバッグに目を光らせる生活に突入。
そう、つまりは変態です。

次回、そのデザインの全貌が明らかに。

-続く-

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